年齢不詳としては、きっと三国志内で一番の人、廖化さん
そんな人を紐解いてみました
概要 |
演義 |
正史 |
伝承 |
おまけ
- 概要
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廖化と言えば、蜀末ファンの間では最後まで姜維と一緒に戦った人という印象でしょうか?
しかし、普通(?)の三国志ファンでも、演義で、
諸葛亮vs.司馬懿戦で司馬懿の冠を拾って来たというエピソードを思い出す人もいるでしょう。
所で、廖化さんの歳ってご存じですか?
三国時代・・・もう1800年程も前の話ですし、生没年不明者は大勢います。
そんな中でも、廖化さん・・・凄いですよ、この人・・・。
と、いう訳で、調べてみました。
- 演義
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さて、演義の廖化さん、初登場は黄巾党の残党でした。
はい、三国志のおさらい、黄巾の乱は184年勃発、終息が微妙です。
張角は185年に病没してますが、188年に黄巾軍、再蜂起してたりするし・・・
で、関羽に主簿として仕えていた。
・・・この事実を踏まえると、どう頑張っても170年には生まれていそうです。
その後、関羽の死により荊州は孫呉の手に落ち、廖化さんも呉へと連れられました。
しかし、どうしても孫権が嫌いだったのか、東呉の水が合わなかったのか?
死んだと偽って蜀へと向かいます。
途中で呉征伐へと向かう劉備と再会を喜び合い、無事に再び蜀へと仕える事になりました。
さて、その後も諸葛亮の北伐にも参加し、司馬懿の冠を拾うとか、姜維の北伐に参加するとか・・・
蜀の宿将としての歳月を重ね、ついに263年、蜀の滅亡という時を迎えてしまいます。
ちなみに演義・正史共に、廖化さんは姜維と共に剣閣に篭もっていました。
・・・素直に計算して、この時、廖化さん・・・93歳以上?
現役武将ですよ?
黄忠さんも吃驚なご高齢になってしまいました。
- 正史
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さて、演義とどの程度違うのかと・・・とりあえず、黄巾の残党という記述が無い。
前将軍関羽の主簿から始まっている。
関羽が前将軍に任命されたのが219年。
で、以後は演義と同じ様に、呉へ行って、蜀へ戻って、姜維と一緒に戦った。
そして、264年の姜維(と鐘会)のクーデターの後も生き延びますが、洛陽へと送られる途上で死亡。
享年不明。
さて219年〜264年の間、45年間。
219年には主簿として働いているので+25年としても、ま、70歳位?
ここでもう一つ、正史話を宗預伝から。
諸葛瞻が朝廷の諸事を仕切る事になった頃、廖化さんが宗預さんを誘いました。
『一緒に瞻ちゃんのトコ、行かない?』(どんな意訳だ)
と。しかし、宗預さんってば、
『何で70歳過ぎの爺が二人揃って若造のトコへ行く必要がある?』(だから、そういう意訳はヤメロ自分)
と、返答。
つまりは当時、既に廖化さんは70歳過ぎという事で・・・それでも現役武将かぁ。
ちなみにこの当時とは、258年頃という事です。
正史的結論として、廖化さん、享年70〜80歳という事で。
- 伝承
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さて、そんな廖化さんですが、呉から蜀へと戻って来る時のお話を一つ。
どうしても蜀へと帰ろうと思った廖化さん、自分が死んだ振りをして、噂を流します。
その噂を皆、信じて廖化さんは死んだと思ったらしい。
そして、廖化さんはお母さんを連れて蜀へと走った訳ですが・・・
ここで実は代替わりをした説があります。
要は実際にここで廖化(A)は死亡し、蜀へ向かったのが廖化(B)だった。
劉備に再会した廖化(B)は廖化(A)の息子だった・・・と。
この説を考えると、廖化(B)は大体姜維と同年代と思われるので、話的に不都合は無い。
ま、宗預さんの発言を考えると、姜維より5〜10歳年長と思われるが、ま、そんなもんだろう。
ちなみに呉でお葬式までして、棺桶の中にも入り、
葬儀の後、棺桶を掘り出して貰ったという話まであったりする。
- おまけ
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正史・廖化伝では廖化さんの元の名を淳という・・・
との記述があるので、廖化(A)は廖淳というのが本名なのかもしれない・・・
と管理人は勝手に思ってみる。
どれだけ頑張ってみても、真相は歴史の闇の中。
それでも、90代の現役武将は無しだろう・・・幾ら何でもさ・・・。
本当にそれだけ歳なら、正史にだって記述は残るだろう、陳寿さんだって、廖化さんに会った・
見た事位はあるだろうしね。
三国志演義は竜頭蛇尾と酷評される程、三国志末期の扱いはぞんざいです(嘆)。
だから廖化さんも、こんな事になってるんだろうなぁ・・・
しっかりと考えられていたら、黄忠さんでは無く、廖化さんが老将の代名詞になっていたはずだ。
ま、3回も演義内で死亡している魏の張○殿よりは・・・(黙)
別に羅貫中さんは悪くないよね、あれだけの量の三国時代話を集めて集大成にしただけで、
十二分に尊敬に値する・・・
ま、姜維の、後蜀の扱いが短いのが無念で仕方がないけど。
そうそう、名義上<廖化伝>と書きましたが、正式には<廖化伝>というものは存在しません。
<宗預伝>の最後に付加されているしか廖化さんの伝らしきものはありません。
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